あァー!才能が・・・!も少し背がほしい!

楽士が、画道をあきらめたのは、小学3年生の時であった。 ・・・・・なぜか?

それは、上小の小中学校巡回美術展に、出品された絵に、全て原色で五重塔(三重塔?)を描いた君がいた。 青・赤・みどり・黄色等で描いてあるのである。 信じられなかった。

「絶対、親が描いたのだ・・・。」と、自分に言い聞かせたが、「俺には、描けない。              負けた。」

「・・・・こんな奴に、敵うわけがない。俺には、才能がない。もう絵は、止めた。」 

その時自分の作品も出品されていたのだが。 

あのまま、その君が絵を描いていれば凄い画家になっていることだろう。 悔しくて、名前も憶えなかったことを、今更ながら悔やんでいる。 

何年前だったか、東京の某デパートで「ジャン・コクトー」の展覧会があった。

何故行ったのか覚えていないが、彼の作品、小説「恐るべき子供たち」を読んで興味を持ったのだと思うが、まずマイッタが、宣伝用に作ったと思われるポスターに、描かれている

素描の線に、我が「目」が、・、・、・、・・・・・。

受付前に立ち止まってしまった。

「なんで、こんな線を描けるのだ・・・・・。」

「どうやったって、こんな柔和な・単純な線、俺には描けない。描けっこない・・・・・。」 

この後、帰省した時、儲からない飲み屋を経営? 遊んでいた?その時に知り合った絵描きが、坂城にいるU氏だ。 不思議なことに、長野の個展で展示していた絵画にまれて初めて、『熱』を感じた。

 どうしてなのか解らないが、娘の名付け親だからか、負い目を感じていたせいかな?

 こんな自分より、もっと凄い同じ歳の女性がいる。 

彼女は、なんとゴッホ『郵便配達夫の肖像』の絵の前で、気を失い、倒れ

我が先輩が大変困ったがある。 看病した先輩は、もうこの世にイナイ。

「俺も、そのうち逝くからね!。 直ぐ呼ばないでねェ・・・・・」 

 

 

 

 

深紅の枯葉散るなかで。

過日、我が山里に初雪が降った頃に、

           童話「100万回生きたねこ」の作家    佐野洋子さんが逝った。 

               天命なのか? 

 訳の解らない仏教書より、余程「いのち」のこと、生きる意味を、伝えてくれた絵本であった。絵本を手に取りながら、手塚治虫氏の 「火の鳥」を、何故か思い出していた。 

 

 さて、この11月28日(日)に、柳田邦男さんの講演が午後1時より中央公民館で予定されれている。 

 「人生で三度読む絵本」と、名打って文化会館でも、柳田邦男さんが推薦された絵本展を東御市立図書館の協力のもとに実施した。短期間であったが350名程の入場者があった。

 

       一冊だけ、紹介しておきたい。

  柳田邦男さんが、翻訳した

       絵本『ヤクーバとライオン』である。

   黒が基調の、けして美しいとか、可愛いとか、絵が奇麗とかの絵本でないので、あまり手にして、ご覧いただけなかったようだ・・・・・。

 しかし、内容は、子どもに伝えたい「真の勇気」「やさしさ」「おもいやり」などを、伝えている。

 現代は、「名誉」「地位」等が、唯一、正しいこと、求めるべきことと追及されている風潮    です。が、一考すべき命題を付き付けている。

          是非、一度、読んでいただきたい・・・・・・大切なことを伝えている。

 

 

久々の感動!

過日、喫煙場所が変わった。

これからの季節には、チョット、北風が辛い風の通り道なのである。

値段が上がろうが、小生は意気地がないから、止めるつもりもない・・・。

そこで、一人で一服していた時の出来事。

その日は、秋には珍しく暖かな午後だった。

東中の下校時間が、ずれていたのか? 下校する生徒がマバラであった。

文化会館南側の階段に生徒が座り、迎えを待っている様子・・・。

私は、椅子に座って北側・文化会館側を向き、パイプの掃除を終え、火を点けた。

その時、まるで天使の歌声? 西欧の教会聖歌隊の響き? エストニアの女性コーラス(実は、個人的に大、大好きな響きなのです・・ホントに)のごとき響きが、歌声が聞こえてくるではありませんか!

アルトとメゾ・ソプラノ?の二人の女生徒のデュオです。

コンクールで、歌った、歌う曲を二人で座りながら歌っているのです。

 長年、イベントの裏方として、多くの著名な演奏に触れ合ってきた自分が、自分の心が揺さぶられることは、

職業病というか、感動しない、冷たい心になっているのですが、心が震え、心臓が躍りました。

嘘じゃないですよ・・・・ホントに!

終わりまで、そして迎えがくるまで待って、残っていた一人に、おもわず声をかけました。

「何年生ですか?」 「三年生です。」

「とても、良かったよ。」 「ありがとう、ございます。」

「三年生じゃ、文化会館のクリスマス・コンサートに出演してもらえないよなァ」

返事は、無かったと思うが、笑顔を見せてくれた。

 「ありがとう、幸せな時を」  多くの人に聞いてもらいたい歌声であった。

素直な「こころ」は、アマチュアであろうと、人を感動させる。

これは、私の確信である。

 

マイッタ、降参、脱帽・・・・

齋藤智裕さんには、脱帽。

ただの優等生じゃないですよぉ! 

若い方にも、いるんですねぇ・・・若者も捨てたものじゃないですか。

 

少し前の出来事ですが、厚生労働省M局長、冤罪は言いようがない事件でしたが

U係長は、部下じゃなかったのですか?

監督責任は、いずれにしてもあったのじゃないですか?

意思疎通がなかった?

信頼関係が薄かった?

ワタクシみたいな、ひねくれ者が言うことでは無いと、重々承知しておりますが、

できれば、「監督不行き届きですので、責任を取り、辞退申し上げます・・・。」

などと、言われたら、文句無くカッコ良かったと思うのは、小生だけでしょうか。

だよねぇ・・・・・。  あぁーァ。

才能溢れる方と、聞きますので

日本人の見本・手本・鑑(ミナ同じ意味か・・・シュン)になってほしかった~。

 それが、日本に生まれた人々の間に脈々と続いた・・・「美」意識

 霜が降りる季節になっちゃたので、気分も・・・・・うゥ、うゥ。

 「熊さーん、元気か・・・」   まるで関係ない言葉でした。 空気が読めないィー。

 

 

 

 

 

 

 

 

住み難い時代になったもんだ・・・謝るな!草彅

コーヒーカップ
 貴方が、落語家だったら「ええぇー、ご心配をお掛けいたしました。 これも、ひとえにのため・・・・」とかで、頭でも掻きながら「バッカなことしたもんだ・・・。」で済んでしまったことだろう。

 夜中の3時、一人で公園で素っ裸だったんだって。 観客もいなかったろうに・・・。 公然わいせつだって?そりゃ、銀座や六本木で同じことをすれば、そういう罪名がつくだろうが・・・。 貴方のお宝を拝見したのは、駆けつけたおまわりさんだけじゃない? 同性なら、えらい興奮することじゃないと思うのだが・・・。 別に俺だって見たくないけど・・まぁ見たってどうってことないが。

 貴方の行動を、人間失格みたい発言する大臣がいたり、何か、とんでもなく住みにくい世の中になっちゃったじゃないかと、気が滅入っているであります。  そんな大げさに考えることじゃ、ないんじゃないかな? ご自分は、馬鹿な言動したことありませんか?って言うの。  私は、いつも、周囲のこと考えず、お馬鹿やってますがね!

 もっと言えば、大臣だって同僚に、バチカンで失態を演じた方がいるじゃないですか。 その行為の方が、余程、考えるべきことだと思いますが。 芸人でなく、国を代表している国会議員でしょ。 それこそ、公然というより、国家に対する、世界に対する冒涜・乱痴ワイセツ行為で、インターポールにでも逮捕される行為だったと思うのですが。

 おおむね、正直で、真面目な方ほどプレッシャーを受けやすいと思うのですが。

 先輩の役者にもおいでになるじゃないですか・・・。 一度演ずると、何ヶ月も他人と会えなくなってしまう俳優、人前に立つことのプレッシャーにまけ、自ら命を絶ってしまった方など、真面目な方ほど、心を悩ませるものだと思いません? 

 貴方も、真の芸人を目指しているんですねぇ。 負けるな! 田舎の楽士は、益々応援するぞ! 

 大体馬鹿なことも出来なきゃ、大物にはなれない・・・・と言いませんか? 

 それにしても、わが身のつつましさよ・・・・あぁーあ。

亭主のクリスマス

 コーヒーカップ 小生は、ご幼少の頃より、クリスチャンでもないのに、上田駅近く権現坂上の教会へ遊びに行っていた。 当時の神父さんは、オランダの人だったと後で聞いた。 背がチッこいので、窓へ手をかけ、神父さんの部屋を覗くと、大抵神父さんはいた。 何で知り合ったか全く忘れているが、今の松尾町が、まだ舗装していなかった頃、バイクの後ろに乗せてもらって、あっちこっちへ、連れて行ってもらった。 どこへ行ったか忘れたが、舗装していない道を下ったのだけは、憶えている。

 先頃、近くから教会を覗いてみたら、教会横にある、あの大きかった洞窟が、何と小さいことか!

 で、何がうれしかったというと、24日教会へ行くと抱えられない程のお菓子をもらえたことだ。

 だから、日頃から教会で、一生懸命お祈りをしていた。 指を真っ直ぐにして、「こういう風に指を、真っ直ぐにして手を合わせるのが、ホント?の形だぞ! 僕は、大人になっても、コブシのように手を合わせてお祈りなんかしない!。」と、変な自覚だけは、持っていたのを何故か、憶えている。

 知らない人には、何のことか分からないが、 こういう事を守るのが、男子の矜持?と言うものだ・・・・はァはァはー。

 それで、我が家に一人娘がいるのだが、何故か、中一のクリスマスの頃まで、サンタクロースは、「絶対にいる!。」と信じていた。

 ところが、それ以来、クリスマスプレゼントという言葉を使わなくなった。 「・・・・分かっちゃたか?・・それにしても、怒らないぞ・・・どうしたのだ。・・・ヤッパ、俺が悪かったかな?」

 子供より、親が楽しんだクリスマスシーズンが我が家では、10余年続いた。

カマちゃん命名する?

コーヒーカップ 命名するのは、普通は親か、親族か、尊敬してる方だと思うのであるが、この「カマちゃん」を、命名したのは、代紋を背負うオヤビンである。 省略しても、地元では、それなりに名の通る方であるから書かない。

 前に、浅草でオカマちゃんと、ほとんど毎日、一緒の銭湯に入った話をした。 毎日のことであるので、その仕草・言葉使いは、必然的に身体に身に付いてしまっている(クッソ)。

 帰省した時、嫁さんの実家に楽器を全て預けてしまった。 バンドマンは、辞めるということが、結婚を認めてもらう条件だからだ。

 ある時、「歩みの箱というチャリティーコンサートがあるから、是非、頼む!」と、誘いがあった。 バンドマンだったという正体を、バラしたのは、小生をバンドの世界に引きずりみ、未だカラオケの先生様だかで生計を立てているおバカなK坊だと、思っている。

 「チャリティーだからと頼まれましたので、楽器持って行きます。」と、嫁さんの実家を騙した。 その後、料亭をやっている先輩だけど友人Mちゃんに頼まれ、地元でもバンドマンをする羽目になってしまった。 で、勤めながらバンドマンをやった。

 当時は、N町に住んでいたので、夕飯は、必然的に外食となった。 楽器を吹く者は、腹八分でないと鳴らないので、そのうち、一杯引っかけるようになってしまった(そんなに、飲めないのに)。

 ある日、Tさんの焼鳥屋で「お前、酒残すな!」 何故か、哲学者のような、物知りの尊敬する故Tさんの言うことであるので、一気に飲み干した。

 外にでると、電柱が、下の方にあるのです。 壁に伝わらないと、歩けない(あぁー情けない)。 で、演奏していた店にヤット着いた。 酔っ払いの気持ちが初めて分かりましたです。

カラオケというものが、まだ流行ってなかったので、バンドがまだ通用した時代である。

 その日、小生は、吹きたくても吹けない・・で、どうしたかと言うと、ただ、喋っていた、一晩中。 命名したご本人が、女性同伴でいた。 一見しただけで、その筋の方だと分かる方である。

 吹けないから、突然、何故か、オカマちゃん言葉で、喋り始めてしまった。何たって、吹けないから、「アンタ、歌うの止めといたらぁ・・。ヘタなんじゃないの・・イヤよォ・・・。」 美川憲一の世界である。 酒の勢いというのは、怖い、怖いという意識がまったく無い・・今更ですが!

 それ以来、後ろからでも、「カマちゃん」と呼ばれるようになってしまった。 良くそんなこと言ってしまったもんだ。 その度、ぞーっとしたものである。  それ以来、同等?の付き合いをしている。

お酒は、ほどほどに!・・・・・(自分で言うか?恥ずかしい、恥を知れぇー・・・スミマセン

管理社会?

コーヒーカップ ある時、ある行政職の後輩が、誰にも黙って「成田闘争」に参加した!

 翌日、警察から担当部長に「・・・こういう方が、昨日・・・行かれましたねぇ。」と連絡が入った。

その話は、現場にいた(昔の)奥さんが聞き、「何々君が、こういうことをしたんだってさ・・・・。」

当時から、いくらヘルメットを被っていても、顔を隠していても分かっていたのですよねぇ。

普通は、黙っているだけです・・・・関係機関は。

 自衛隊も侮ってはいけない。 吾輩の後輩が、自衛官になった。 が、ある日、帰省してきた。 「どうしたんだ。」と尋ねたところ「士官付きになったのだけど・・・お前の親戚に、旗を振っている人がいる。 お前は出世できないぞと、言われたから辞めた・・。」とのこと。

既に、管理社会に突入している。

 我が弟分は、ある警察署幹部である。 何かあれば直ぐに電話がくる・・・・

                                   だからオトナシクしている。

良い悪いではない。

だけど、小生のような軟弱ものは、誰も相手にしないから・・・・

                                いずれにしても、蚊帳の外か!

樂歴 寄り道

 極右の友人の話。

 上田に帰省してから解ったのだけど、あの事件を憶えていらっしゃる方がいるだろう。

 小説「金閣寺」等を、書いた作家三島由紀夫氏が、市ヶ谷陸上自衛隊で、演説し、総監室で割腹自決した出来事を? 

 その日、昭和45年11月25日、またまた黄色の総武線に乗って、 新宿方面に向かっていた。 市ヶ谷の右側が騒然としていた。 理由は定かでないが、何か、あったらしいことは、解っていた。

 この事件の正悪を問うつもりは、毛頭ない・・・・・ただ、そういう出来事があったということだ。

 その現場で、演説を聞いていたのが、その友人で、小生は車両の内であった。 

 何故、友人と思っているかと言うと、恐らく自分は、彼の葬儀があれば、「ララバイ オブ バードランド」を奉奏するからだ(完璧に自分の方が、年長であるにも関わらず長生きすると、確信している?)。

 その友人は、大日本愛国党総裁 赤尾 敏氏を直接訪問し、お話を聞いた。

 赤尾 敏氏 銀座数寄屋橋で、辻説法し、ユーモアあるアジテーションで有名な人であった。

 自分も、何度かその場面にいた。

 後日、知るのだが、私見であるが、憂国の士という方がいれば、こういう人のことをいうのだろうと思った記事に出会った・・・・・内緒。

 何故か、以前の憂国の士諸氏は、銭に縁が薄いような気がした?。 そこだけは、小生と同じである。

  本日は、忙しいのでここまで・・・・・。

           それにしても、寒くなりましたねぇ!

 

樂歴 其の十一

さて、浅草時代の話をしようか!

○ 秋吉敏子さんが、在籍したバンドにいた。    

○ 強力な水虫を、うつされた(オカマちゃんに)。

○ おかま・女形さんと、仲良しになった。

○ 二つ名を持つ「関東五郎」が、用心棒のクラブに出演していた。 ヤクザ映画には、出演依頼があったらしい? 何時も、和服の似合う美人を連れていた・・・どして?

○ その親分の片腕O氏は、三社祭りのために?総刺青をし、死亡の際は東大に皮膚を寄贈することになっていた? 顔を見るだけで、震え上がるような形相を何時もしていたが、我バンドマンが、浅草で面倒を起こすと処理してくれた。

○ 東京進出を図る武闘派「T組」事務所に、出入りした・・・・どして?。

○ クラブ横のバー「ロンシャン」の背の高い、少々頭が薄いオカマさんと、一緒の銭湯に同じ時間、毎日のように入った。

○ 当時、浅草には、タケシ、木の実ナナさんらがいた。 国際劇場側の東天紅が、ダンサー・バンドマンの食事場所であったし、そこの息子は、大学の先輩で、工学部出身、学問の成果か、餃子を一生懸命に作っていた。 オーダー間違いがあると、わざわざ店まで、来て「飯食いに来い!。」と、言ってくれた。 当時は、いくらでも腹に入った。

○ バンマスは、青山の書店の息子で、ボクサーくずれのドラム田野倉栄治氏。甥っ子に、中日の外野手田野倉がいた。

○ 日本のジャズ史に残るトロンボーンの「森 亨」氏と一緒に演奏した。 よく蹴飛ばされた。 ある日、店に行く前にNHK FMから、森さんの歌が流れていた。 デタラメ人生は、後日ご紹介します。

○ 歌手の青山ミチから、「ユー ハーフ?」と、言われた・・・どして、どうして?。

○ 「ああ・・上野駅」の歌手、井沢八郎氏から「こんなテナーさん聞いたことない。感動しました。」と、ウイスキーの差し入れを受けた。 真後ろで、吹きあげたからねぇ! 演歌吹かせたらウマいですよ・・本人が言うことじゃないか!

      歳とったから、箇条書きです。 だって、今にも雪降りそうなんだもん!

                                    本日はこれまで。